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「え……?」
あまりにも唐突なカミングアウトに、アタシはとぼけた声を出すしかなかった。だめだ、頭が追っつかない。何だか脳が箱みたいになってて、その中を声が跳ね返ってるみたいだ。いつの間にか表情が失せてたのか、大井っちはアタシの顔をじっと見つめていた。聞いてた? と言いたげな疑問符の見える顔つきに、慌てて取り繕う。
「あ、う……ん! 聞いてた聞いてた」
アタシが元々マイペースなのもあって、話を聞き逃していたことを特別気にはされなかった。大井っちはまた言葉を続けて話し始める。つっけんどんな、けれどどこか嬉しそうにしながら。素直じゃない溜息を吐いて、左手を頬に添える仕草をした。それと同時に、銀の輪が自己主張するように部屋の明かりに反射する。大井っちの左手の薬指にはまった、シルバーリングが。
「全く、あの人ってば。私のどこが気に入ったのか、未だに理解がつかないのよ」
字面だけでは、普段通りの嫌味を言っているようにしか見えない。けど、長い付き合いのあるアタシには分かる。大井っちは、今とっても幸せなんだ、と。結局アタシは、その後も大井っちのお惚気に生返事しか出来ないままだった。
朝早めに司令室へ行くと、提督がにこやかに挨拶してきた。穏やかな性格をしているのは根っからだが、今日は特にほんわかしている気がする。こちらへ軽く上げた左手に光るものが。アタシはそれなりに気の抜けた返事をして、そっと視線を逸らした。なんか、よくわかんない感じ。胸の辺りがごにゃごにゃとして、クラクラする。
「……なーんでだろ」
大井っちと二人で使ってる部屋のベッドに寝転がって、何となしに呟いた。吐き出しても何も変わらないけど、ほんとに何となく。アタシ以外に誰も居ないから、言葉が真っ直ぐに伸びて消えていくのを音で感じる。大井っちと提督が結婚する。それを聞いた時から、この調子だった。提督がヘマするときっついことばかり言ってたから、変な違和感を感じているだけかもしれない。そう考えたけど、どうもしっくりとはこない。
「んー……」
二段ベッドの上側を使ってるアタシは、柵に掴まって下のベッドを見た。そういえば前、寝起きでぼーっとしてる大井っちにこうして、びっくりさせたこともあったっけ。なんてことない出来事を、ふいに思い出す。あの時は梅雨だったからか、ふわふわな癖毛がもっと面白いことになって、いきなり覗き込まれた大井っちは顔真っ赤にして慌てていた。「びくついて壁に頭ぶつけちゃって、アタシがそのままぶら下がって降りてきたら、変な声出してたよねー。どこから出てんだろーって感じの」
あの後は大井っちが完全に混乱して、どう収拾がついたのか正直覚えていない。けれど、やけに焦る大井っちの顔だけは今でもハッキリと覚えていた。やたら可愛かった、そんなよく分からない感想付きで。
「ん? 今可愛いって……?」
アタシはもう一度そこを考え直す。微笑ましいじゃなくて、可愛い。アタシはそう感じた。しかも、犬猫とか家族とかに向ける感じともちょっと違ってる。
――アタシは大井っちをどう感じてる?
更に考えの深みに潜った。どうしてアタシは楽しそうにしてる大井っちを見ると、変な感じがするのだろう。指輪をして、結婚話をされて。姉妹なら祝福して当然なのだろうに。でも、アタシはむしろ、嫌だと思っていた。
――何で?
もっと深くに沈んでいく。
――特にもやもやしたのはどこ?
記憶の道を後ろ向きに辿っていった。その時、瞼の奥にキラリと光るものが見えた。銀色の指輪。提督と大井っちがお揃いで付けている、何でもない婚約指輪。
『私、あの人と結婚することになったの』
その一言で、アタシの胸に剛速球が通り抜けたみたいな衝撃と空白が訪れた。もしかして、もしかしてアタシは
「……あれ」
不意に目が覚めたような感覚に、思わず寝ぼけたような声が出た。私、いつの間にか寝ちゃってた? それともこれが夢? あたしまだ寝てんの? 尽きない疑問符も、次に視界に捉えたものにより、一気に引き戻された
「……大井、っち……?」
天井を見ているような、焦点の合ってない大井っちの目。スローモーションか何かの一時停止みたく中途半端に開いた大井っちの口。その周りに、海に漂うように無造作に広がった大井っちの髪。どの部分にも飛び散って映った、赤色のもの。よく見ると、それは大井っちの身体全体にも広がっていて。私の服にもべったりと付いていた。それは、血。フィクションで見る鮮やかな赤ではなく、どこまでもリアルで生々しい紅。
――うそ、何、これ……!
私が馬乗りになっている下で、大井っちが死んでいた。大井っちは腹や肩の近くを乱雑に何度も刺されていて、内蔵と皮膚と服の繊維が入り乱れている。思わず私が恐怖から後ずさると、じゅく、と肉の擦れる音がした。
「……っ、え?」
頭が混乱していたからか、私は左手に何かを持っていることに今更気づく。それは、震えた私を更に追い詰める、文字通りの刃物だった。存在を認識した為か、その重みが遅れて伝わってくる。無彩色の包丁。けれど、それに彩りを添えるように、さっきも見た紅が、ペンキで塗りたくったように視覚に強く存在を訴えかけてきた。
――わけわかんない
そうとしか言いようがない。状況だけ見れば、アタシが大井っちを刺したってことにしかならないんだから。でも、そんなわけない。大井っちはアタシの姉妹艦で、ルームメイトで、相棒で、それで……
「あ、あれっ……?」
ぼろぼろと、訳も分からないままに涙が出てきた。、待ってよ。これじゃ、本当にアタシが刺し殺したみたいになるじゃんか。そこで、アタシの頭が痛む。壊れかけの記録媒体みたく、記録が飛び飛びになっている。これはアタシの記憶だ。アタシに突き飛ばされた大井っちが、怯えてアタシを見上げてる。それも構わず、包丁を振り上げ、下ろした。飛んで、大井っちが死んでる。それでも、アタシは刺し続けた。何度も、何度も、もうとっくに死んでるって分かってないみたいに。けど、機械じゃないからか、ちぐはぐの場所にばかり刺さっていく。肩、脇腹、腕。そもそもどこを狙っているのかは理解できないけれど。記憶の再生は、そこで終わった。
「大井っち……」
涙声のまま傍に近づき、声をかける。
「お願い、目覚ましてよ……」
わがままで、身勝手だとは思うけど。でも、やっと分かったのに、やっと言えるところまで来たのに
「パニクって、変に混乱してるだけなんだよね、さっきの、ほんとは違うんだよね……?」
アレは違う。アレはきっと、アタシの考えすぎた妄想の一つの結末で、現実じゃない。震える手を握り締めて。だからねえ、大井っち、教えてよ。
「嘘だよね……! ドッキリとか、なんでしょ? 提督もグルだから、こんだけレベル高くて騒ぎになんないんでしょ……!?」
返事は無かった。沈黙は現実として、貫くように突き刺さる。アタシは、ただ泣くしか出来ない。縋ろうとすれば、容易く取れてしまいそうなほどに傷ついた大井っちの腕や胸に躊躇してしまうから。
――アタシは、嫉妬してたんだ
言葉にしてしまえば、酷くちっぽけだった。アタシは、大井っちがずっと傍に居るものだと、勝手に思い込んでいた。一心同体みたいなもので、無いとお互い生きていけないから、何となくそれを分かっているから、離れずに一緒に居続ける。そんな関係だと思ってた。疑うこともなく、それが常で有り続けると、思い込んでいた。
「アタシ、馬鹿だね。 ほんとさあ……!!」
提督に向かうそれが気に入らなかった。慈しむような、穏やかな瞳も。饒舌で、素直に思いの丈を乗せてくれてた口も。アタシにしか触らせないと言っていた、茶色のふわふわな癖毛も。表情と同じように多彩な顔を見せてくれる声も。何もかも、アタシ以外に向けられることが、許せなかった。
「……ごめんね、大井っち……! 怖かったよね……、痛かったよね……!!」
断片的な記憶だけでも、大井っちが、アタシに怯えていたのは分かった。経緯は思い出せなかったけど、いきなり突き飛ばされて。乗られて。何言っても聞いてくれなくて。刺されて。刺されて。刺されて。怖くて、痛くて、苦しかったと思う。それをしたのは、紛れもなくアタシなんだ。
「アタシ、大井っちが言ってくれたみたいな、素敵な人じゃなかったッ……! 最低だよ……!!」
何を言っても、もう遅い。謝ったって、聞こえないし、届かない。吐き出す場所を失った自己嫌悪が、アタシの中でぐるぐるとサイクルしだす。冷えた手に、自分の手を重ねる。
『北上さん、あれ! 素敵よね……』
『えー。大井っちって、案外ロマンチックだよねー』
一緒にテレビを見て、大井っちが興味を示したのは、恋人繋ぎだった。指を絡ませているだけ。けれど、好きな人と出来たら、なんて大井っちは言ってた。
「それが、アタシだったら、良かったのにな……」
身勝手すぎる。指を絡ませても、冷たさは増すばかりだった。もういっそのこと、全部言っちゃえ。どん底からは下がりようも無いし。
「大井っち……好き」
陽だまりのような光が射す中で、冬のような凍りつく寂しさと切なさを、アタシはここで感じた。
伴奏の消えた、独奏歌
中途半端な弱さに震え、声なき人に縋るしか。
それしか、彼女には術が無かった
2017/01/29