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男は外の景色を見ていた。一向に止みそうもない程の雨雲に覆われた暗い空の景色を、何をするでも無く只見ていた
年季が入ったからか、少しの道路の段差を越える度にガタガタと不必要なほどに振動を伝える車
運転している警察官も、凪いだ海のように静かすぎる男を不審に思ってか、時折ミラー越しに姿を盗み見る
突き刺すほどの荒々しさもなく、かといって休まることなく不規則に降り続ける雨
男は、降り続ける液体が車の窓を濡らし、意味も無く重力に従って滑り落ちする様子を見つめる
ゴウ、と雷が唸りを上げるように一際強く鳴った。その音と光に、数時間前の友の姿を思い浮かべていた
雷雨が激しく暴れ散らす中、駆けて、駆けて、そして扉へとたどり着く
鍵のかかっていない、やたら重々しく感じたそれを開け放ち、部屋を見渡す
幼馴染の女性は恐怖に竦み、件の男は部屋の中央程で血を流し倒れている
そして、その男を殺したのは、男の唯一無二の友であった
何度も撃ってしまったという友の言葉通り、彼の手や服にも跳ねた血がこびり付いている
凶器である拳銃を持つ手は、その力強さに反して、震えていた
瞬間男は悟った。友は、越えてしまったのだと
かなり昔。男も若さ故か、職業の色に染まりかけていたのかは今でも分からないが、
一度、その線に触れたことがある。その線は、想像していたよりもずっと、冷たい
その線に足を入れ、浸し、踏み切ろうとした最中、友の存在がそれを遮った
『勝手に先走んじゃねえよ……兄弟!』
その友の言葉を、今でも一言一句違えず覚えている
男を兄弟と呼び、息を切らして、ボロボロの身体で引きとめようとしていた
『踏みとどまれ。いつか……最後の一線を越えなきゃならねえ時が来たら、』
怒りと様々な形容しきれない感情が、焼け爛れるような昏い熱によって凝縮されている心を揺さぶる
血反吐を撒き散らしかねない程の剣幕で、真摯な言葉で、男を引き戻す
『そん時は俺も一緒に越えてやる!』
暗闇に溶けること無く、荒々しく飛び出すその声を、昨日の事かのように思い返した
男は、思考して気づく。男が一線を越えかねなかった時、友が駆けつけてくれた
しかし、友が一線を越えてしまった時、誰も友の傍には居なかったのだ
だからこそ、男は友を庇った。密かに想う女を託し、最も重い”親殺し”まで背負って、借りを返そうとしたのだ
男は天涯孤独の身だ。しかし、友には妹というかけがえのない家族が居る
肩を組んで、飲み屋を渡り歩いたこと。服のセンスでくだらない口論をしたこと
互いの意見を曲げられず、兄弟の縁を一度切ったこと。それでも、結局は共闘して縁を戻したこと
色々と、思い出や軽い未練もどきも尽きはしない。けれど、一つだけぽつんと残ったしこりが強く際立つ
「……一緒に、越えてやれなかったな」
その後悔だけが、ずっと心の底で引っかかり続けている
がりがり、がりがりと、引っ掻くほどに傷を広げるばかりの後悔
呟いた一言は、男の耳以外には届かず、雨音に紛れて消えた
バケツをひっくり返したような悪夢に
揺蕩う心を曝け出し、雨滴に激しく打たれた
2016/06/13