Short story

    いつからだったのかは、もう覚えていない。気づけばもう好きだったから。その瞳に、その顔に。一挙一動に惹かれてしまっていた。本人ですら覚えていないだろう軽口にですら、馬鹿みたいに浮かれてはしゃいだり、どうしようもなく凹んでしまったりする。恋とは不思議だ。他人事なら、その一言で片付けてしまえるのだろうけれど、現実はそうもいかない。子供みたいに騒いで、暴れて、ぶつかっていけるのならば良かった。ふわふわと浮つく恋を二人で見つけて、繋いで、育てて、愛にしていく。それが人を想い重なり合う形なのだから。他の艦娘が読んでいた少女漫画に書かれていた一文だ。文章の中の言葉が丁度恋愛になるように配置されていて、安直だとは思うが、そんなものだという比喩かもしれない。つまるところ私は、直線的に恋を探そうとすら出来ない、臆病者でしかないのだ。

    「北上さん……好き……」
    三日月とも半月ともつかない微妙な月齢の日の夜。ベッドに寝転び、その言葉を呟く。今日は遠征で帰らない、同室の彼女の名前を。さん付けでも六文字でしかない単語に、子供みたく胸が高鳴るのを感じる。顔がじわじわと熱を持って、発火したみたく熱いことこの上ない。見ている人なんて居ないのだから、特段気にする必要は無いけれど、どことなく恥ずかしい。行き場のない感情を誤魔化すように、、シーツに頬をすり寄せる。冷たい布に熱が伝わって、温さを持ち始めた。それでも、一向に収まる気が無くて。というより、シーツと自分の温度差にある意味、更に気恥ずかしくなってしまう。
    私は、北上さんが好き。それは私にとっては、太陽が東から西に沈むことのように。地球が丸いから水平線が曲線を描いていることのように。摂理ほどのレベルで不変の気持ちだ。世界で、いや、生物で一番北上さんを愛していると豪語できるほどにだ。けれど、それだけではいけない。一方通行の気持ちは相手にとって、重荷にしかならないからだ。与えるばかりで、返されることのない想いは、贈る者の心をいつしか乾ききらせてしまうだろう。これは、私の読んだ詩集の一つ。私の勝手な想いは、北上さんには迷惑でしかないのかもしれない。そうならば、打ち明けるべきではない。けれど、どこへも行けない想いが体内に燻り続けることは酷く息苦しい。だから私は、こうやって本人の居ない間に少しでも吐露する。

    「大井……本当に良いのか?」
    変に優しすぎるうちの提督に、念を押すように返事する。私は、この鎮守府の提督と結婚することになった。あれほどまでに熱を上げていた北上さんへの想いは、少しばかり蓋をすることにしたのだ。理由は簡単。振られるのが怖いから。私が告白しなければ、一番の友達というポジションは、私さえ努めれば維持できる。思い出は、綺麗なままにしておきたいのだ。臆病な私は、一番楽な逃げを打ったんだ。それに提督は、男としては微妙だが、父や兄のような家族としては心地よかった。提督も、元々私と北上さんが仲良くしていることを、恋愛感情込みで良いと言ってくれていた人だったから、了承してくれた。
    「いいんですよ。だって、提督優しいですから」
    本当に優しすぎる人。だから、私みたいなメンドくさい生き物に引っかかって、巻き込まれてるんですよ。その意味もこめて、私は提督を優しいと言った。

    「北上さ、ん……?」
    力加減が違ったのか、やや強めに尻もちをついてしまう。起き上がろうとするも、肩を押されて床へ仰向けにされる。しばらく触れていなかった北上さんの体温に、こんな状況にも心は揺れた。せっかく諦めようとしたのに、こんなのずるい。馬乗りに乗り上げてきた北上さんに、更に脳内は強くかき乱される。けれど、そんな甘い幻想は、どこまでいっても現実とは重ならないのだと思い知らされた
    「なんでさ……」
    その呟く一言が、やけに耳に残る。理解するより、解釈するより先に、北上さんの腰近くに光るものが見えた。瞬間。そう思えるほどに私は思考の海に沈められていて、痛みを感じるのも僅かばかり遅れていたみたいだ。

    「……っう!」
    冷たい刃が身体へ滑り込む。温度差が秒速で縮まり、入り込んだその異物ですらも熱の一部に感じられるほどだった。痛みに呻く声を堪えて、本能的な恐怖から顔を横に逸らす。引きずり抜かれて、また振り下ろされる。怖い、痛い、苦しい。細かく考える、その思考が切り落とされていく。抗えない衝撃と圧力に、バラバラに千切れてしまいそうなほどに心は揺れる。ぽたり。音がしたような錯覚をおぼえるような一粒が、私の頬に触れた。一時止んだ痛みから、背けていた顔を上へ向ける。
    「北上……さん……」
    北上さんは、泣いていた。よく分からない事態に、客観的に見れば、私のほうが浮かべるのに正しいような顔をして。武器を持って、勇ましくある手。それが今では、やっぱり女の子だと思ってしまうほど、震えていた。いつも気怠げに見える落ち着いた瞳は、悲しみと怯えを持って揺れている。呑気そうな響きを持った声は、切迫さを抱えて、痛々しい。

    「大井っち……なんで。……っ、大井っち……! なんで、私から離れてっちゃったのさ……!?」
    どうして、どうしてこの人を一度でも怖いなんて思ってしまったんだろう。子供みたく怯えているだけの、この人に。訳も分からず、泣くことしかできない女の子に。痛みが無いといえば、嘘になる。けれど、それを上回ってしまえるほど、北上さんが愛おしい。これほどまでに、私を想ってくれていたこの人が、とてつもなく可愛くて。それほどまでに必死で、仕方なかったんだと思うと、耐えられた。
    「北上さん……大丈夫、よ……。……大丈夫……」

    また、肉がズレて、刃物が身体から這い出る。泣かないで、北上さん。これぐらい、北上さんの苦しみを思えば、なんともないから。だから北上さん、気にやまないで。貴女の悲しみに気づいてあげられなかった私が、悪かったんだろうから。北上さんは、これほどまでに私を大切に想ってくれていた。なのに、打ち明けもせず、私は逃げる方を選んでしまった。ごめんなさい、ごめんなさい。今更遅いだろうけど、機会を逃してしまったけど、それでも言いたい。
    「北上さん……好き」
    10字足らずのその言葉は、自己満足でしかないのだけれど。それでも、その言葉に北上さんの瞳は一瞬、戸惑いを示した。それでいい。それだけで良かった。次に来る衝撃まで、私はずっと、北上さんを瞳に映し続けた。

    罪悪をんだ、恋歌

    最愛のヒト、どうか忘れないで。
    貴女が好きな私が居たことを。

    2017/01/29