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―9月、季節が夏から秋に変わろうとする時期のある晩のこと。
本丸の一番奥の部屋―審神者の部屋に敷かれている布団の中で、当本丸の主である『由良』が悪夢に魘されていた。
両親との幸せな生活、突然現れた化け物、逃げろと叫ぶ両親の声、飛び散った赤・紅・緋…、そして―――
そこで漸く目を覚ました由良の額には玉のような汗が浮いていた。
嫌な夢を見たものだともう一度眠りにつこうとしたが、先ほどまでの光景が閉じようとした瞼の裏に蘇り、
とても眠れるような状況ではなかった。
この暑さに魘されたのだろうと無理やり自己完結して、水でも飲もうと部屋から出た。
審神者の部屋から厨まではかなり距離がある為、由良は眠りについた刀剣たちを起こさないように静かに廊下を歩き、
庭の見える縁側まで来た。
すると、そこには1人の影があり、近づいてみると、丁度顔を出した月の光に照らされた青空の色を映したような髪が輝いた。
「…一期?」と由良の口唇から小さいながらも紡がれた名に、その影がゆっくりと振り返る。
「主殿?」と言葉を返す一期一振は、普段身に着けている戦闘装束や内番服が洋装であった為、
今着ている寝間着である白に近いグレーの浴衣姿はどこか新鮮であった。
「どうかされたのですか?こんな夜更けに…。」と尋ねてくる一期は姿勢を正して、由良に問う。
「なんだか暑さで眠れなくて…、水でも飲みに行こうかなって。そういう一期はどうしたの?眠れない?」と一期の隣に腰を下ろした。
「ええ、まあ…。」と言葉を濁しながら顔を上げ「月を見ていたのですよ。」と答える。
深い闇色の空の真上にぽっかりと浮いた青白い月は、後数日で満ちるようだ。
「やっぱり、まだ人の体には慣れない?」と一期の表情を伺いながら尋ねる。
一期一振は、つい1カ月ほど前に顕現を果たし、審神者間で『レア4』と呼ばれている4振りの太刀の中で1番最後に現れたのだ。余談だが、この相模国にある当本丸では、新入りの刀剣男士は1カ月ほど主である由良の近侍を務める決まりとなっている。
由良の問いに対し、一期は首を横に振ると、ただ…と言葉を続けた。
「…私には大阪城、…前の主との思い出が、1度焼け落ちてしまったので残っていませんが、
今でも…燃える炎の熱と、その炎の間から覗いた今日と同じ月は忘れる事が出来んのです。」
と顔を自身の右手で覆い、俯いてしまう。その背は未だ記憶に残るトラウマを必死に押し込もうとしているようにも見えた。
「一期…、私さっき1つ嘘を吐いたの…。」と由良が吐露するのを聞き、一期は顔を上げる。
「さっき暑さで眠れないって言ったでしょ?でも、本当は悪夢を見て、眠れなくなったの…。
昔、私の両親が歴史修正主義者に殺された夢を…。」と由良は先ほど自分がみた夢を、ポツリ、ポツリと一期に話した。
これは自分の初期刀である陸奥守吉行にしか話したことがない。
話し終えて一期を見やると、そこには眉をよせ、涙を零しながらも、どこかほっとしたような一期の顔があった。
「やっと…、話してくださいましたな…!」と由良の手を両手で握り、由良と目をあわせる。
この1カ月の間、刀剣たちに囲まれて笑顔を絶やさなかった主がたまに見せていた、
悲しげな表情が気掛かりであったのだと伝える一期に、由良は申し訳なくなった。
しかし、同時に一期に話したことで不思議と心が軽くなるような気もしていた。
すると一期は「主殿、こんな時に不謹慎だとは思いますが…、主殿にお渡ししたい物がありまして…。」と
己の浴衣の袂から縦長の綺麗な包みを取り出して、由良に差し出した。
開けても良いかと聞き、一期が頷くのを見て包みを解くと、そこには1本の簪があった。
決して華美ではないが、桔梗と小さな蝶のモチーフが可愛らしくも上品であった。
「弟たちが普段から主殿に大変良くしてもらっているので、これはそのお礼です。お納めください。」という一期にこんな高い物は
受け取れないと返そうとしたが、一期は「受け取ってくださらないのなら、この場でその簪を折ります。」と言い切り、
頑として受け取ろうとはしなかったので、ありがたく受け取ることにした。
手元の簪を眺める主を見つめながら、一期は約1カ月前に思いをはせていた。
顕現した桜吹雪の中、見えた己の主となるこの女性に一目惚れをしてしまった事、時折暗い顔をする主の力になりたいと願い、
主から全幅の信頼を向けられている陸奥守に嫉妬してしまった事などが次々と頭の中に過ぎる。
――我ながら重症だな―と心の中で笑いながら、主の手から簪を取り、緩く纏めた髪に簪を挿す。
「知っていますか?主殿?桔梗には『やさしい愛情』という花言葉があるのですよ。まるで母親のような主殿に相応しい花だと思ったのですよ。」まあ花言葉自体は乱に教わったのですがね、と零す一期に、今度は顔が熱くなった由良が顔を両手で隠したが、髪の隙間から覗いた赤い耳は隠すことが出来ずにいるのを一期は微笑ましく見つめた。
再び顔を雲に隠そうとした月が、最後に照らした髪に簪の桔梗がキラリと光り、その花弁の1つに刻まれた五七の桐の紋様が
一期の独占欲を表しているようだった。
桔梗―変わらぬ愛―
(主殿は知らんでしょう。桔梗にはもう1つ花言葉があることを…。私の心は永久に貴女の物です。
この意味を知ったときが楽しみですな。)
2016/05/23